嬉野先生のスゴさ。

1月25日火曜日。藤村です。ちょっと長くなりますよ。


きのうの嬉野先生の日記読みました?「黄表紙」のお話。


(中略)


そんなこんなで先生の、一見関係ないと思われるようなお話も、
実は番組を作る上での大事な要素、方針、思想のようなものを形作っている。
みなさんも、そんなことをなんとなく感じるから、
「嬉野さん!面白かったです」と、思わず書き込んでしまうのでしょうね。


昨日の掲示板を見ながら、そう思いましたよ。


【引用元】[水曜どうでしょう official website]



まずは公式をご一読下され。
藤村先生、昨日の話を続け広げてくれました。
あの嬉野先生の感性ってのは
そういう所からきているのかと改めて関心してしまいました。
好きこそモノの上手なれなんて申しますが、案外それもあやしいのかなって。
そりゃ確かに好きにこしたことはないのでしょうけど、
好きで好きで好き過ぎて、周囲が見えなくなる事ってあるはず。
そんな時に外から全く違う視点で冷静に見る目を持ってると、
閉塞した状況を打破出来たりするものですよね、うん。


最近やんやと五月蝿い著作権問題、
元来日本人の技術はゼロからの開発よりも
寧ろあるものをより良く応用する力に長けていたはずなんですよね。
そういう意味では江戸から続く伝統と言えなくもないかも。
まぁそれ絡みで某謹慎中の人なんかは
その作品があまりに稚拙で
というかほぼ丸写し状態だったので泣けてきますが。
堂々と模倣したと公言した上で生き残れば、
それはもう1つの作品であり、後世まで残る事でしょう。
あくまでも認めなきゃダメですよ、でなきゃそれはルール違反。
パクるにはそれ相応の対価と勇気が必要です。
確実に元のモノと比較されますし、
下地に元のモノがある分作品としてのハードルが高くなります。
そんな中でも評価されるという事は確実にクオリティが高いという証拠。
模倣は創造の源という事なのでしょう、
そして結局はイイものはイイんだという事ですかね、はい。